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七瀬レビュー

大正14年の残像

  • 緑町より愛を込めて-さようなら長野市民会館

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大正14年の地図です。「信越線」と書かれた「線」の字の左側辺りが現在の長野市民会館の場所に該当します。
以前書いたように、ここは昔牧場であったとのことですが、この地図を見る限りそれはわかりません。小川(北八幡川)のに南側が現在の第二市庁舎のある場所で、空き地になっていますのでこの場所かもしれません。あるいは年代が違うのでしょうか。
現在市民会館が建っている場所は畑です。若い人はアルファベットの「Y」の字に似たこのマークを知らないでしょう。桑畑です。この辺が時代を時代を感じさせますね。長野市民会館が造られたのはこの地図ができてから36年後です。


この地図を見て、なぜここに市民会館と市役所が建てられたんだろう。それまではどこにあったんだろうと疑問がわいてきました。そこでネットでざっと当時のことを調べてみました。年表風に記しますと下記のようになります。


1897年 市制施行 - 長野市が発足
1923年 吉田町、芹田村、三輪村、古牧村を編入
1926年 <冒頭の地図はこの頃>
1954年 朝陽村、古里村、柳原村、若槻村、浅川村、長沼村、安茂里村、小田切村、芋井村、大豆島村を編入(第1次昭和の大合併)
1961年 長野市民会館竣工
1966年 長野市庁舎(現在の第一庁舎)竣工
1966年 篠ノ井市、川中島町、更北村、信更村、七二会村、松代町、若穂町が対等合併(第2次昭和の大合併)


どうですか、庁舎建築と合併が関係していることは明らかです。市役所がこの前にどこに建っていたかは今わかりませんが、松代や篠ノ井ばかりではなく川中島ですら長野市ではなかった時代に、数年後の合併を見越して、牧場?のあった現在の場所を確保し、先ず市民会館を建て、続いて市庁舎を建てたのに違いありません。
忽然と現れた2つの近代的な建物を住民の皆さんはどのように迎え入れたのでしょうか。現在でいえば東京スカイツリーに向かって見物人が集まるように、ここにも長野市中から人が集まってきたのでしょうか。

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