
明治12年の残像

手描きで、しかもまことに大雑把に描かれたこの地図は明治12年ころのものだそうです。
右上に「居町」という文字が見えるので、長野市内に住む方はだいたいの位置関係が理解できるでしょう。居町とか新屋敷とか点線で囲ってあるのが集落です。そして「A」のピンがさしてあるあたりが現在長野市民会館のある場所と思われます。中央部に小さく「観音」と書いてある場所は今も残る観音寺ですね。その横をかすめて南北にはしる道(太線で描いてある)はその軌跡が現在もほぼ同じです。ただし鉄道はまだ影も形もありません。新潟県の関山駅と長野駅が鉄道で結ばれたのは明治21年ということですので、この時点からさらに約9年後ということになります。
明治12年とはどんな時代だったのでしょうか。「ついこの間まで江戸時代」だったわけで、文明開化とはいえ地方において日常生活は江戸時代そのままだったのではないでしょうか。この辺は七瀬村にあたり、その北西隣は鶴賀村です。いずれにしても小さな集落以外は見渡す限り田畑だったでしょう。市民会館ができるわずか82年前です。










